先日、真庭市のスミダ商店さんにお邪魔してきました。スミダ商店さんは真庭市で3代続く八百屋さんです。この春から”すみだのまかない”を始められたということで、ランチをいただき、お話をお伺いしました。今回は、インタビュー形式でお送りいたします!
スミダ商店 インスタグラム
現在は、ほぼ毎週水曜日にまかないをされています。
すみだのまかない を始めたきっかけを教えてください。
スミダ商店は私で3代目の八百屋になります。新しい試みをしようと考えて、飲食店を開くことにしました。11年くらい前に店を1回改装しています。当時は本当に店が古くて、お店をたたんで倉庫だけにして、八百屋として学校とか施設に野菜を配達するのみ…という選択をした方が仕事としては楽でした(笑)。でも、お店のある商店街がシャッター通りになってしまっても、地域の常連さんが野菜を買いに来てくれたり、楽しい出会いもあったりするのでお店を継続することにしました。当時、国の補助金にも採択されたのでだいぶきれいにしました。改装した時に店に大きな黒板を設置して月替わりに絵をかいてもらっていた人が元漫画家さんの女性(シロさん)で、彼女がお肉が得意ではなく、野菜料理がとても上手ということで、絵だけではなく料理もお願いしました。料理が上手なうえに、料理の説明も毎回上手に黒板に書いてくれるので、それを見ながらお客さんに説明・接客をしています。

たっぷり野菜のランチは地元産の野菜や食材にこだわっています。
説明書きも、とてもわかりやすいです
11年前にジャムを作って製造業も始めます!ということでキッチンも作っていましたが、実際ジャムを作って売ってみるとあまりに採算があわないということで5年くらいで辞めてしまっていました。それで今回小規模ですが飲食店用に改装して、シロさんに週1回料理をお願いして開店することができました。自分にも八百屋の仕事もあるので、無理せずやってみよう!ということで現在に至ります。
改装資金はクラウドファンディングで
お店には昔の名残でキッチン設備はあったのですが、飲食店を開くにあたり改装は必要でしたので、クラウドファンディングという形で資金調達をしました。そうしたら、クラウドファンディングとは全く関係ないようなところから、寄付の仕方がわからないからと、知り合いや地域の方が気を使っていただいたこともあって、大変ありがたい限りでした。

お店の一角が食堂スペースです
飲食店をやってみての感想は?
現在は週1回ですが、楽しいです。これをやっていないと普段は出会えないような方々も来てくださいますし!ビジネスとして考えるときは、予約が全くなかった時の怖さは常にあります。今はまだオープンして3か月なので、お客さんもいらっしゃいますが、来年はどうなっているかわかりません。考えたらきりがないんですが、八百屋でも不安はあったりします。商売をやっているとどこかでずっと強迫観念みたいなものはあると思いますね。

ランチの最後に出てくる”くろもじ茶” お店で売っています
八百屋さんもがんばっています。
八百屋の方は普段4人体制で仕事をしています。両親も元気で手伝ってくれています。基本は真庭の野菜を扱っていますが、大量の注文に対してはどうしても地元の野菜だけではまかなえないこともあるので、久世や岡山の市場からも仕入れています。地元の野菜については直接農家さんから仕入れたり、市場からも仕入れたりしています。

お店では地元の野菜を販売しています
家業をすんなり継がれたのですか?
自分が小さい時は商店街もにぎやかで両親も祖父も忙しくて、おばぁちゃんっ子で親からはほったらかされていました。悪い子ではなかったですが遊びたかったので、学校行くふりして夜まで帰ってこなくても1回も怒られたことはなかったです(笑)。自分も悪いことするわけではなかったし、自由奔放にさせてくれました。家族も多く、誰かは家にいたので、寂しい思いはしなかったですね。
18歳くらいから10年くらいは地元を離れていました。帰ってくる直前の2年間は世界を旅していました。バックパッカーでいろいろな国に行きました。旅をしているときに日本人にもたくさん会うんですが、猛者みたいな人も居るんですよ。どこに行っても会うのが日本人とドイツ人でした。変な場所に行ってもいました。国民性としての考え方が近いんですかね。
20代後半で一度帰ってきて、再度ネパールの方に行きたいと親に言ったら、普段とても温厚な母親に泣きながら怒られました。母親も当時はちょっとつらい状況だったようです。で、その時に家を継ぐ覚悟が決まりました。怒られた次の日から家の仕事を手伝うようになりました。
実家の仕事をすることになった時は何もわからなかったので、消防団に入り、地元のお祭りの組織に入り、商工会に入りと全部関わってきました。日々日々のお付き合いが大切だと思っています。特にここは田舎なんで、独り勝ちっていうのは絶対に無理です。いくら頑張ってもできないことはできないので、できることを探してやってみている感じです。後は、人に頼るんですよ。やっぱり1人ではできないです。

杉井さんのナスとパティパン
子供は中学生の男の子の双子がいます。今は難しい年頃です。子供の1人は小学生の作文で将来は八百屋になると書きました。もう1人は水族館で働きたいと言ってます。これからどうなるかわからない世の中で、継がなくてもいいよと一応は言っています。好きにしてくれたらいいと思っています。
街おこしにも積極的に関わっています
ここの商店街は30年くらい前に、商店街の人たちが近所に大型スーパーを誘致したんです。商店街としては当時すごく賑わっていたのですが、もう商店街の時代は終わると思った店主たちが今でいう食品スーパーと専門店(商店街の店)のモールのような形態で誘致するという革新的なことをしたんです。けれども、食品スーパーが採算が合わないという理由で短期間で撤退してしまい、次に入ったスーパーも同じような形で撤退となり、そうしているうちに当時の商店街の人たちはだいぶいなくなってしまいました。そういうことがあったので、余計に商店街から店がなくなってしまいました。店はシャッターが閉まっていますが、人は住んでいます。自分と同世代の店主(後継者)も多かったので、その人たちと組んで、街おこしのような活動もしています。”まにワッショイ”という団体を作って、「旧遷喬尋常小学校 なつかしの学校給食」や飲み歩き等のイベントをやったりしてにぎやかに活動していました。コロナでちょっと下火になったのですが、また少しづつ再開しようとしています。体もしんどいし忙しいばっかりですが、そういうこともやっていて良かったなと思います。いろいろな事をするにあたり、人に頼ることも多々あるのですが、住田の言うことなら聞いちゃるわ!という感じで言ってもらえることもあります。面倒くさいところにも顔を出し、しがらみとかにも巻き込まれたりしますが、20代後半~30代の時、どこにいっても下っ端でいろいろと動いていた時の労力が今報われているというか、返ってきている感じがしています。人生面白いなと思います。だから、動いていれば何とかなるし、絶対見てくれている人はいると思います。

住田さん
ここ最近、農家さん(農業)の変化を感じることはありますか?
最近、気候が変わったなと思うのが、ピオーネ(葡萄)は温度の関係でもともと県南でしか栽培できなかったのが、今では県北の地域でしか栽培できなくなりました。10年前くらいには地震とかの影響もあったのか、こだわって野菜を作っていた人も多く、いい野菜も多く入っていたのですが、それで生活をしていくのは難しい現実もありそういう農家さんは減りました。自分でブランディングして、市場に影響されない売り方ができるような人はいいのですが、農家さんみんながそういうことが得意なわけではないので、なかなか厳しいのかなと思います。この春にも、蒜山でこだわって野菜を作っていた農家さんから辞めますと連絡が来ました。
いろいろな種類を栽培されていた農家さんも、どれか1種類だけ栽培した方が採算が合うからという理由で一本化されました。利益を出すために農家が大型化していると思います。昔はいろいろな個人が季節に合ったいろいろな面白い野菜を栽培していたりもしていたのですが、それでは年間を通じて生活していくのが難しいです。農業を大型化して直接スーパーとかに売りに行く。スーパーでも顔が見える野菜という感じで売っていますしね。少しだけ野菜を作っているおばちゃんたちは、道の駅とかの直売所に直接持って行ったりしていますし。市場に出す物については、自分で値段は決めれないですが、直売所なら自分の思う値段で売ることもできます。

スミダ商店さん 外観
今後、やりたいことはありますか?
日曜日は市場が休みで仕事も休みなので、休み前日の土曜日の夜に、飲食店スペースを使ってお酒を出してみてもいいかな?と思ったりはしています。後は、この場所を貸し出して使ってもらったりとか。そういうのをしてみても良いかなとか…。走りながらいろいろと考えていこうと思っています。
健康的なランチと住田さんの楽しいお話。とても良い時間を過ごさせていただきました。
筆者も普段料理は多少しますが、お肉を使うとお肉の味に頼ってしまいます。が、”すみだのまかない”のお料理はお肉なし!お野菜をおいしく食べるための味付けに感動しました。ボリュームもたっぷりで、おなか一杯になり、普段よりも健康的な体になった気がします! 住田さんのお話もびっくりすることばかりで、あっという間に時間が経っていました。是非、スミダ商店さんに足をのばして、おいしい野菜料理を味わってみてください!

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