前回までの記事で、「農薬は本当に危険なの?」「なぜ使われるの?」という疑問について、安全基準や役割を考えてみました。
すると次に生まれるのが、「では、もし農薬をまったく使わなかったらどうなるの?」という疑問です。健康や環境を考えて“無農薬”を選ぶ人も増えていますが、現実の農業では、農薬ゼロには大きなハードルがあります。ここでは、実際のデータをもとに「収穫量」と「価格」への影響を見ていきたいと思います。

世界で農薬をやめたら、収穫はどれだけ減る?

国際連合食糧農業機関(FAO)の報告によると、世界では毎年、作物の20〜40%が害虫や病気で失われていると推計されています。つまり、農薬を使わなければ、現状よりもさらに30%以上の減収が起きる可能性があるそうです。

📊 図1:病害虫・雑草による世界の作物損失率(FAO, 2023)
図1
出典:FAO – Plant Production and Protection Division

作物別の推定被害は以下の通りです。

  • 穀類(米・小麦など)…約30%減
  • 野菜・果物類…40〜50%減
  • イモ類(ジャガイモなど)…最大60%減

これは、同じ面積の畑から取れる食料が半分近く減ることを意味します。


日本でも確認されている減収データ

日本の試験研究でも、農薬不使用による収量減は明確に確認されています。たとえば、国立研究開発法人農研機構(NARO)の報告では、イネの無防除試験で収量が20〜30%減少、キャベツでは害虫の食害により商品価値が半減した事例があります。

📈 図2:農薬使用を半減・ゼロにした場合の収量変化(Gharde et al., 2018)

図2
出典:Gharde, Y. et al. Crop Protection 2018.
参照:ScienceDirect – Crop losses due to pest and weed


農薬ゼロがもたらす“三重のリスク”

農薬を使わないと、作物は3つのリスクにさらされます。

  1. 害虫の爆発的増殖
     例:イネカメムシ、コナガ、アブラムシなど。1匹のメスが数百個の卵を産み、短期間で圃場全体に広がります。

  2. 病害の蔓延
     湿度が高い日本では、カビや細菌による病気(いもち病、灰色かび病など)が発生しやすく、防除しなければ全滅に近い被害も。

  3. 雑草との競合
     雑草は栄養・水分を奪うため、収穫量を下げます。除草剤を使わない場合、人力で除草が必要になり、人件費が数倍に膨らむことも。

📊 図3:雑草による収量損失率(世界主要作物)
図3
出典:Oerke, E.-C. et al. Trends in Plant Science, 2022.
参照:Cell – Trends in Plant Science


収穫量が減るとどうなる?価格への影響

供給が減れば、価格は上がります。たとえば、全国的に収穫量が30%減った場合、スーパーの野菜価格は20〜40%上昇する可能性があります。実際、2020年の長雨でレタスやキュウリの出荷量が減った際、価格が一時2倍近くに高騰したことがありました。「農薬を使わない=高価」なのは、単に“ブランド”ではなく、リスクと手間のコストが反映された結果なのです。

世界的な影響:食料不足の懸念

世界人口は約80億人。もし農薬を使わず収穫量が平均30%減ると、単純計算で20〜30億人分の食料が不足することになります。FAOはこのリスクを「食料安全保障上の重大問題」として指摘しています。農薬は、世界の安定供給を支えるツールでもあるのです。

出典:FAO “The State of Food Security and Nutrition in the World 2023”


日本の現状:世界でも厳しい安全基準

「農薬=危険」と思われがちですが、日本では、農薬は世界でも最も厳しく管理されています。

  • 農薬取締法により登録制・用途別基準を設定
  • 作物ごとに使用回数・濃度・時期が細かく規定
  • 出荷時には残留農薬検査を実施

実際、市販野菜の多くは、基準値の1/10以下しか残留農薬が検出されません。農薬を正しく使う限り、科学的に安全が確保されています。

出典:農林水産省「残留農薬基準制度」


農薬を減らす新たな取り組み

近年は、環境負荷を減らすための“中間的な道”も進んでいます。

  • 生物農薬(微生物や植物由来成分)
  • 低リスク農薬(分解が早く環境残留が少ない)
  • 統合防除(IPM):天敵やトラップと農薬を組み合わせる管理方法

こうした取り組みは、農薬を「ゼロ」にするのではなく、“必要最小限にする”方向を目指しています。

消費者にできること

農薬を使う・使わないは「良い/悪い」ではなく、作物や地域に応じた最適なバランスを取ることが大切です。私たち消費者ができるのは、

  • 「有機JAS」「特別栽培」の意味を理解する
  • 地元の生産者の工夫を知る
  • 「農薬=悪」という極端な見方をしない

といった“知って選ぶ”姿勢です。

 理想と現実のバランスを考える

農薬を完全に使わない農業は理想的に見えますが、現実には収穫量・価格・労働負担・食料安全保障の課題がつきまといます。大切なのは、安全性と持続性のバランス。「どう使うか」「どう減らすか」を考えることこそ、未来の農業と食卓を守る第一歩です。


🧾 参考・出典一覧

  1. FAO (2023) “Understanding the context of pest and pesticide management”
     https://www.fao.org/pest-and-pesticide-management/about/understanding-the-context/en/

  2. Gharde, Y. et al. (2018). Crop Protection, 107, 41–52.
     https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0261219418301501

  3. Oerke, E.-C. et al. (2022). Trends in Plant Science, 28(1), 23–35.
     https://www.cell.com/trends/plant-science/fulltext/S1360-1385(22)00351-8

  4. FAO (2023) The State of Food Security and Nutrition in the World
     https://www.fao.org/documents/card/en/c/cc7900en

  5. 農林水産省「残留農薬基準制度」
     https://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/kome/k_seido.html


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